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気候危機とは何か*1
その2 気候危機管理体制の危機:これからの10年が勝負 西岡秀三(地球環境戦略研究機関)
はじめに
「気候危機とは何か その1」*2では、「安定な気候」の維持が危ぶまれる状況を一望し、人類社会の持続のためにゼロエミの脱炭素社会になるのは抗えない自然の理であることを述べた。もう一つの重要な自然の理は、対応が遅れれば遅れるほど対応がより困難になってくるという負のスパイラルが気候システムに内在する事である。30年かけて構築してきた世界気候危機管理システムが、肝心の削減実行段階で止まってしまっている。この10年の間に大幅削減がないと2℃目標にすら届かないだろう。対応としては、削減現場が自主的に立ち上がり「ただちに一目散にゼロエミに向かって削減する」しかない。
1.遅れれば遅れるほど困難になる自然の理(ことわり)
なぜ早く減らさないと危機がより強まるのか。少しややこしいが説明しておきたい。基本は、我々が2℃で止めると決めた時、いまから2℃までに排出できる二酸化炭素量(2℃までの許容排出総量)が限られるという科学的知見*3、自然の理にある。この量は、本論その1で述べた、「温度はこれまで排出した二酸化炭素の全量(累積排出量)にほぼ比例して上がる」という関係から定まる。
この「残り許容排出総量」は制約であると同時に、今から脱炭素世界に転換するのに使える(排出できる)「財布の中身」でもあるから「炭素予算:Carbon Budget*4」とよばれる。気候変動制御を考える時の人間行動と温度上昇を直接つなぐ本質的で重要な指標である。目標が何℃であれ、それまでに排出できる世界総量は限られている。しかし、それを世界各国でどう分けあうか、各国政府が自国分をどれだけ時間的に引き延ばしながら使うかの対応手順は、人類に任されている。
いま無為に排出を続けるという事は、「炭素予算」を食いつぶしていることであり、残りは急速に減ってゆく。2℃上昇間近にきて気候変動が激しくなって、いざゼロエミに向かわざるを得なくなったときには、「炭素予算」も2℃迄の時間もわずかしか残っていない。現存社会体制の慣性は大きく、最後に急激で無理な転換が必要となると、強権的施策でも取らないとゼロエミには到底届かなくなってくる。2℃を超えたからと言って急に気候が荒れ狂うわけではない。かといって削減してゆかなければ被害への適応作業はより大変になる。そんなことを続けていると、いつまでたってもゼロに行きつかない。
この様に、気候制御のメカニズムには、対応が遅れ排出量が大きくなるほど脱炭素化に使える財布の中身は大きく減り、締め切り時間はより早くなり、最後の転換に向けての坂道は危険な急勾配になるという、ダブルパンチの仕掛けが組み込まれている。
数字で見よう。2010年時点での2℃までの炭素予算が約1,120 Gt(Gt=10億トン)であるのに対し、2010年の年間排出量は約36 Gt(IPCC AR5 WG3*3)である。つまり、これだけの排出が続けば約30年後の2040年で「炭素予算」が尽きて2℃に達する。でも2010年から直線でゼロに向かえば、同じ予算でその倍の60年かけて2070年ごろまでにゆっくり脱炭素社会に変えればよい。早めに確実に減らすことで、摩擦も少なくスムーズに脱炭素転換ができ、将来の技術進歩も期待でき、打つ手も増える。
しかし既に2020年まで、これまで通りの排出を続けてしまった。そのため、今時点の炭素予算は760 Gt。21年分しか残っていない。今すぐゼロに直線的に降下すれば2060年頃到着できる。一方、これまで通りの排出を2030年まで続けるなら、その分炭素予算が減ってしまい、残りは僅か11年分となる。
なお、1.5℃を目指すとすれば、「炭素予算」は2010年時点で約560 Gtであり、上記計算をなぞらえば、昨年2020年で残りは6年分である。今年3月時点での各国修正NDC(国が決定する貢献量:約束草案)の集計では現状から1%の削減しか見込めないのだから、1.5℃実現はほぼ無理である。グテーレス国連事務総長が、2030年までに2010年比で45%削減するのに躍起になっているのは当然である。
2.止まらない排出と気候変動
パリ協定まで世界のGHG排出は増え続けてきたが、その後やや増加速度は低下しつつある。コロナ禍で2020年7%程度減ったと推定されるが、ほとんど温度上昇に影響しない。
気候変動は人為的排出に対して自然の理に従って着々と進行している。地表温度は2020年過去最高級*5(NASAと日本気象庁は2016年と同値で第1位、NOAA と英国気象局は僅差で第2位としている)を記録し、産業化(1850年-1900年あたり)から既に1.2℃上昇と観測された。また英国気象局によれば、2019~2023年の間に少なくとも1年一時的に1.5℃になる確率が10%としており*6、1.5℃は目前に迫っている。最近の科学報告*7では、温暖化暴走点火の一要素と懸念されるシベリア凍土が予想以上に早く融解し始め、熱帯での森林伐採と農地転用が森林土壌の吸収能力を減らしつつある(Earth League/Future Earth/ WCRP:2020年1月)。2018年日本を襲った猛暑は温暖化がなければ起こらなかったであろうと検証されており* 8、今年の春3月の夏日は夏の酷暑を予感させている。
3.世界気候危機管理システムで生じた遅れ
「止め方を知らずに始めた温暖化大実験」をいよいよ店仕舞いしなければならない。1980年代から世界は気候変動に取り組み始め、国際学術界が科学知見を深め、IPCCがそれを評価し、UNFCCCがその評価に基づき共通政策を論議し行動に合意し、それを各国が持ち帰って各国政策で削減するという、「止め方」を考える世界規模の気候危機管理体制が構築されている。
この体制は、例えばIPCCの評価は6年ほどのサイクルでしかできないように、それぞれのステップに数年の時間がかかり、さらにそれをリニアにつないだ全体システムでは2009年UNFCCCコペンハーゲンCOP15での交渉不調などで大きな遅れが生じる。ようやく2013年にIPCC第5次報告(AR5)が温度上昇は人為的温室効果ガス排出によるものであることが確実であり、ゼロエミしか上昇を止められないことを示唆した。これを受けて2015年に、上昇を2℃以下、できれば1.5℃以下に止めるために脱炭素(ゼロエミ)社会に向かうことがパリ協定で合意された。その後EUを始め欧州先進国は1.5℃を目指して2050年実質ゼロを宣言した。2020年10月中国習近平主席が国連で2060年実質ゼロを宣言、11月日本菅首相2050年実質ゼロの脱炭素社会宣言、そして2021年1月に2050年炭素中立政策を掲げるバイデン新政権が発足し、やっと本格的な削減が始まる。
いっても詮方ないことであるが、もっと早めに減らしておけば適応策も抑制策もずっと楽にできた。もし1990年から減らしていれば、1.5℃目標の「炭素予算」は約50年分あったし、2000年からでも約40年分、2010年で約30年分残っていた。これまで変動確認と交渉に明け暮れ、目先の利益を求めて少しも排出を減らさなかった不作為が危機をまねいたのである。人類は何もしないことによってずるずると自らを袋小路に追い込んでおいて「気候危機」と声だけ挙げている。30年にわたって築き上げてきた世界気候危機管理システムはその最終段階になって各国が動かないという人為的「危機」に直面している。
目の前の大幅な削減が不可欠なのに、それができないでいる「人間の対応遅れ」が「気候の危機」をもたらしているのである。
4.対応の遅れを取り戻す政策
「手遅れ感が大きい」と言って、やめるわけにはゆかない。覚悟を決め、ともかくゼロエミ目指してこれからの10年に一目散減らせるだけ減らすしかない。これには、以下のような政策的対応が考えられる。
[1]「炭素予算」の考え方を長期戦略に取り入れる
「炭素予算」は、何もしなかったら時間とともにゼロエミ対策の困難さがより増してゆく危機を明確に示す恰好の定量的指標である。「2013年から26%削減」のような日本の削減目標は、基準年の取りようでどうにも変わるうえ、パーセントで設定されていて、一体どれだけの量削減するのかわかりにくい。「炭素予算」はなぜか日本の気候政策検討には使われないが、自然の要求する制限枠の中でこれをどう効率的にかつ公平に使って脱炭素社会に変えてゆくかを考えるのにきわめて適切な指標である。欧州先進国では気候変動対応の長期戦略や実際の国家予算の割り付けにも併用されている。
各国、各省、各企業など削減主体に「炭素予算」がカネの「予算」とペアで割り付けられれば、対策の炭素利用効率が可視化され、主体のパーフォーマンスが見えて効果的な削減政策につながる。5年ぐらいの期間に分けて割り付けておけば、毎年排出の上がり下がりを気にすることなく中期の政策が打てる。これからの10年に大きく排出を減らし、将来世代がつかう予算を十分に残せるように配分すれば、いまの若者たちが余裕をもってゼロエミ社会の仕上げをしてくれる。
[2]途上国の脱炭素発展に向けた国際協力を強める
これまで化石エネルギー利用型発展を計画してきた途上国も、これからの化石エネルギーなしの新たな発展の道を切り開かねばならない。先述のように、気候制御のメカニズムには、対応が遅れ排出量が高くなるほど炭素予算の減り方が激しく、転換の困難さが増すという、ダブルパンチの仕掛けが組み込まれている。だから、途上国での迅速な削減は途上国だけでなく世界のゼロエミ化に貢献する。
先進国型従来技術移転が途上国の今の削減対策に使えるかは疑問であるが、それぞれの国での環境に合わせた適正技術*9の展開に先進国の資金や人的支援をむけ、途上国の排出量がまだ少ないうちにゼロエミに向かうような国際協力が望まれる。
[3]削減現場主導でのゼロエミ化へ
国連主導の世界気候危機管理体制が最終段階で壁にぶち当たっているものの、先進的な国々が1.5℃削減に向けて2050年あるいは2060年ゼロエミに目標を見直し、国際金融界が長期の投資方向に気候対応をとりいれている。先進的な企業は国際市場を先取りしようと技術開発を進め、市長たちが削減推進を誓い合う。いくつもの転換シナリオを研究者やNGOが案出し、手遅れを懸念する次世代が現世代の責任を鋭く問いだし始めている。
この削減現場での意欲が大巾削減につながっていないのは、本来政策でリードすべき政府の覚悟と迅速な対応についての必然性と必要性の認識がなかったからではないか。
なぜ日本政府が大幅削減に躊躇するのか。いみじくも菅首相が「『もはや』環境対策は経済の制約ではなく」と所信表明で述べたように、これまでは温暖化防止は経済を制約するものであると間違って認識されてきた。経済成長優先のなかで気候対応が政策の主流にあげられず、不確実性が大きいとか、対策は経済成長を妨げるとか、さまざまな理由で削減当事者・主体の積極的削減行動の足をひっぱってきた。
しかし今や菅首相の宣言で堰を切ったように皆が一斉にゼロエミに向けて動き出している。4月22日政府は2030年46%削減で国民のやる気を高める目標を示したことは大いに評価される。その為の具体的転換計画を早急に策定し、予算の手当てを進めてほしい。国民のほうも政府を待つことなく現場削減実績を示すことで政府の背中を押してほしい。
参考情報と注記
*1. 本稿は、筆者が国立環境研究所地球環境研究センターCGERニュース[Vol.31 No.11]通巻第362号2021年新春号に寄稿した「脱炭素社会はなぜ必要か、どう創るか」に加筆し簡潔にまとめたものである。
*2. CEN Newsletter No.2(準備中)
*3. IPCC/AR5/WG1(2013): Summary for Policy Makers, Figure SPM10
*4. 「炭素予算」の定量化に関してはいまだ詰めが残るが、それから導かれる大筋の論理は明解である。
*5. 世界気象機関(2021): State of the Global Climate 2020 PROVISIONAL REPORT
*6. 2019年2月6日付けガーディアン紙の記事
*7. Earth League/Future Earth/ WCRP(2021): 10 New Insights in Climate Science 2020. Stockholm
*8. 国立環境研究所他(2019):平成30年7月の記録的な猛暑に地球温暖化が与えた影響と猛暑発生の将来見通し
*9. 日本適正技術フォーラム/APEX(2020):持続可能な開発のための適正な技術選択に関する包括的フレームワーク